少年曾讨厌教室
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歌曲名称 |
少年は教室がきらいだったのだ 少年曾讨厌教室 少年讨厌教室 |
于2011年12月15日投稿至niconico,再生数为 -- 后由1stPLACE2013年2月22日投稿至YouTube,再生数为 -- |
演唱 |
IA |
P主 |
石風呂 |
链接 |
Nicovideo YouTube |
“ | 最後の中学嫌いの歌です。
这是最后一首讨厌中学的歌。 |
” |
——石風呂投稿文 |
《少年は教室がきらいだったのだ》是石風呂于2011年12月15日投稿至niconico,后由1stPLACE投至Youtube的VOCALOID日文原创歌曲,由IA演唱。
本曲作为石風呂的第八作,也作为IA出道曲之一收录于IA/00专辑中,后来,2012年4月25日,1stPLACE发布IA新专辑IA/01-BIRTH-,本曲也收录其中。
歌曲
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歌词
- 翻译:蜉蝣三日[1]
本段落中所使用的歌词,其著作权属于原著作权人,仅以介绍为目的引用。
それぞれ思いは あれども 僕ら、仲良くないね
虽然我们 对待时局 各有看法 老实说 我们关系不算好
君たち、知らないんだ 人間ってさ
我说你们 还没搞明白 所谓人类
思いのほか頻繁に 憎悪を持ち出すし
与常识不同反而是常会 心生憎恶的家伙
信じられない量の 武器を隠し持って
暗自筹划着算计 有如囤积杀人的兵器
何食わぬ顔で 笑顔を振りまいて
表面上装作清白 熟练地陪笑
水面下でふっと 教室戦争始めんだ
风平浪静下暗潮涌动 谈话间战争就爆发了
何が起こったって 僕らは笑っていた
无论发生多么大的事 我们都是哄笑以对
冗談風味にごまかした、それはあくまでいじめじゃない(ない)
讥嘲霸凌都说成玩笑 难道不嫌欺人太甚了吗(不)
愛と平和だって 裸足で逃げ出すような
什么爱与和平的信条 实践起来却落荒而逃
中学校の教室でした
这就是中学时的教室啊
あの頃の僕は 逃げ回るのに必死
那时候的我啊 每天都在拼命逃避躲藏
流れ弾や地雷から 逃げながら生きていた
从流弹暗雷的夹缝中 勉强逃出一片生存的空间
平穏な日々を 得るための代償は
苟得一方宁日 自然不是靠施舍
一体何だったのか 今なら少しわかるような
到底付出了什么代价 事到如今多少也有觉悟了罢
何が面白くとも 僕は笑わなかった
无论抛来多么有趣的话 我也低着头一言不发
最初で最後の青春を ゴミみたいに扱って(って)
最初也是最后的青春 我就这么当作垃圾过完(了)
愛と平和だって 唾を吐き捨てるような
什么爱与和平的教条 我攒着眉唾弃着就忘掉
中学時代の僕でした
这就是我的中学时代啊
何が起こったって 僕らは笑っていた
无论发生多么大的事 我们都是哄笑以对
冗談風味にごまかしたって 辛いものは辛いのになぁ・・・
就算挂上玩笑的借口 残酷的事实也永远不会改变...
今日も元気な少年さ!
今天也要是元气少年!
数人程度の友人と 小さく笑いあって
交上两三人的朋友 凑在一起轻声谈笑
毎日を過ごすような それが一番良いのかな
就这么度过一天又一天 那样才算是最好的青春罢
愛と平和だって 目もくれないような
就是爱与和平的教条 我也丝毫不感冒
僕らでよかった・・・
能做朋友 真是太好了...