再见了我们的电视台
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作 りたくて入 ったテレビ局 思 い通 りにはならなかったけれど女優 さんと仲良 くしたり実態 のないブームの捏造 のために嘘 のアンケート結果 やサクラを動員 した何 も知 らない子供 たちは テレビの言 うこと真 に受 けて楽 しくなければテレビじゃない そんな言葉 が今 は虚 しい楽 しいことばかりじゃなかったけど逃 げ出 したくなることもあるけど子供 たちの笑顔 に支 えられた誰 もが息 を押 し殺 してた日本人 の社員 たちは 次々 に職 を追 われていった日本人 社員 だけが集 められた会議室 で壁 のホワイトボードに「ニッポン万歳 」と書 いて嗚咽 漏 らし泣 き崩 れた次 の世代 の子供 たちに 僕 ら何 を残 せるのだろうか本当 のことを伝 えたいんだ楽 しくなければテレビじゃない もう一度 この場所 に帰 ろう
歌曲名称 |
さよならぼくたちのてれびきょく 再见了我们的电视台 |
于2011年8月4日投稿至niconico,再生数为 -- 同年9月10日投稿至YouTube,再生数为 -- |
演唱 |
初音未来 |
P主 |
ほぼ日P |
链接 |
Nicovideo YouTube |
《さよならぼくたちのてれびきょく》是ほぼ日P于2011年8月4日投稿至niconico、同年9月10日投稿至YouTube的VOCALOID作品,由初音未来演唱。
又一首模板曲,从本曲中又诞生出了《再见了我们的千本樱》、《再见了我们的SPIRITS》和《再见了我们的朝日新闻》。
简介
2011年7月,演员高冈苍甫在推特上发表对富士电视台节目编排偏向韩流的批判言论,结果被所属事务所解雇。以此为起点,许多人对富士电视台的疑问、不满和积怨开始爆发(尤其是针对韩国人控股比例过高、韩流节目播放过多的问题)。[1]承接一个月前的《泡菜电视台》,ほぼ日P再次发布有关富士电视台的歌曲。
本曲发布后的两个月内,一共发生了四次针对富士电视台的抗议游行。更神奇的是,在8月7日第一次抗议游行当天,本曲达成殿堂,成为ほぼ日P第7首殿堂曲。
歌曲
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歌词
- 译者:Sayonzei
本段落中所使用的歌词,其著作权属于原著作权人,仅以介绍为目的引用。
ひょうきん族 みたいな番組 を
想要制作出像《我们滑稽一族》[2]一样的节目
抱着这样的理想进入了电视台工作
虽然最后没能如愿以偿
テレビの仕事 が好 きだった
但我还是喜欢在电视台的工作
タレントたちと朝 まで飲 んだり
和明星们喝酒从早喝到晚
和女演员们相处得很好
ギョーカイ人 ともてはやされてた
甚至还得到过有名演员的夸奖
あの頃 が人生 のピークだった
那时简直可以算是我人生的巅峰
かの国 の資本 に買 い取 られてから
因为被那个国家的资本买入
为了捏造并没有实质内容的虚假热潮
通过伪造调查结果和动员托儿
プロパガンダの片棒 担 いでた
做起了宣传的帮凶
さよなら僕 たちのテレビ局 日本人 のためのテレビ局
再见了我们大家的电视台 为了日本人的电视台
懵懂无知的小孩子 看见电视台说什么就会信以为真
かの国 に憧 れ抱 くんだろう
会对那个国家怀有向往的吧
さよなら僕 たちのテレビ局 夢 が詰 まっていたテレビ局
再见了我们大家的电视台 充满梦想的电视台
“不有趣的不是电视”[3] 那种话放到现在完全是空话
だから今 は忘 れてしまおう
所以现在还是忘掉吧
虽然在电视台的工作并不总是有趣
虽然也有过逃跑的想法
テレビを見 て喜 んでくれる
但是只要想到看电视的孩子们的笑脸
就一直支撑着我
かの国 の露骨 な工作 批判 した
批评那个国家公然操纵行为的明星
タレントが所属 事務所 から解雇 されて
被所属事务所给解雇了
これはおかしいと思 っても 声 に出 すことができず
虽然大家也觉得这根本没有道理 但也不能出声
所有人都屏住呼吸
さよなら僕 たちのテレビ局 日本人 のためのテレビ局
再见了我们大家的电视台 为了日本人的电视台
スポンサーはみんな離 れて かの国 のCMばっかり
赞助商全部都撤场 只会播放那个国家的广告
こんな未来 望 んでいただろうか
难道你们是期待着这样的未来吗
さよなら僕 たちのテレビ局 今 は変 わり果 てたテレビ局
再见了我们大家的电视台 现在完全变了样的电视台
日本本国的雇员 一个接一个地被迫离职
今じゃもう外国 のテレビ
现在已经是外国的电视台了
在只有日本雇员集合的会议室
ベテランの鬼 プロデューサーが
资深的魔鬼制片人
在墙上的白板写下“日本万岁”
止不住呜咽泪流满面
さよなら僕 たちのテレビ局 日本人 のためのテレビ局
再见了我们大家的电视台 为了日本人的电视台
我们能向下一代的孩子们 留下什么呢
我想向他们讲述真相
さよなら僕 たちのテレビ局 夢 が詰 まっていたテレビ局
再见了我们大家的电视台 充满梦想的电视台
“不有趣的不是电视” 再一次回到这里吧
きっといつか戻 ってくるから
我相信未来有一天肯定会回来的
さよなら僕 たちのテレビ局
再见了我们大家的电视台
参见
注释
- ↑ 参见日语维基百科条目对富士电视台的抗议游行
- ↑ 《オレたちひょうきん族》,富士电视台自1981年至1989年播出的搞笑综艺节目,扭转了当时富士电视台低迷的收视率
- ↑ 1981年富士电视台的口号