即使這樣,世界依舊以我為中心環繞著。
跳至導覽
跳至搜尋
視頻截圖 |
歌曲名稱 |
それでも、世界は僕を中心に回っている。 即使這樣,世界依舊以我為中心環繞著。 |
於2015年11月19日投稿至niconico,再生數為 -- 2016年11月25日投稿至YouTube,再生數為 -- |
演唱 |
重音テト |
P主 |
青谷 |
連結 |
Nicovideo YouTube |
“ | 三十作目。自分の器を知ってしまう。
第三十作。知曉了自己的器量。 |
” |
——青谷投稿文 |
《それでも、世界は僕を中心に回っている。》是青谷於2015年11月19日投稿至niconico,2016年11月25日投稿至YouTube的UTAU日文原創歌曲,由重音テト演唱。
歌曲
寬屏模式顯示視頻
歌詞
作詞/作曲/編曲 | 青谷 |
演唱 | 重音テト |
- 翻譯:FD咖喱[1]
本段落中所使用的歌詞,其著作權屬於原著作權人,僅以介紹為目的引用。
進む先に道はないんだよと、
前進的道路是不存在的、
賢い先人達は言った。
智慧的先人們這麼說過。
訳も分からず広げた世界地図に、
在莫名其妙程度廣闊的世界地圖上、
僕の名前はないんだと知った。
知道了我的名字不會在上面。
多分君の名前もないんだと、
多半你的名字也不會有、
鳥みたいな頭で悟った。
用像鳥兒一樣的腦袋領悟了。
二物を与えられた物の世界に
在被賦予了我們兩個事物的世界裡
生きているんだ。
生活著。
きっと、1つとして同じものはない。
一定、不存在同樣的一個事物。
きっと、1つに価値があるとは限らない。
一定、不一定每一個都擁有價值。
140文字で真理を突き、
用140字衝擊真理、
無言で引用するのは何様だ?
無言引用的是哪位?
そんなものになりたくないと、
不想變成那樣的東西的話、
ニーチェの真似をし損なう僕が何様だ。
沒法模仿尼采的我又是哪位。
そう物分かりの良い振りをして、
裝出一副明白的樣子、
隅っこから世界を眺めていた。
從角落中眺望世界
どの隅にいても、
無論在哪個角落看
やっぱり世界は歪んでいた。
果然世界都是扭曲的
きっと、一人称視点のゲームだ。
一定、是第一人稱視角的遊戲。
きっと、我を思う故に我があるんだ。
一定、是我思故我在。
蹴って、割って、
踢飛吧、打破吧、
吐いて、泣いて、
吐出吧、哭泣吧、
切って、酔って、
切開吧、沉醉吧、
飛んで、落ちて、
飛起吧、落下吧、
全部、全部、無駄なんだって。
全部、全部、都是徒勞的。
全部、全部、嫌なんだ。
全部、全部、都討厭啊。
ずっと、「ちくしょう」って吐いて生きてる。
一直、吐出氣說「混帳」地生活著
ずっと、隣の芝生は青いままだ。
一直、一旁的草坪還是綠色的
きっと、適度に狂ってなきゃならない。
一定、必須得適度地瘋狂
きっと、僕は僕をやめることはできない。
一定、我不能放棄我自己
きっと、きっと……。
一定、一定……
それでも、
即便如此、
|
注釋與外部連結
- ↑ 翻譯轉載自B站視頻評論區。