<span lang="ja">命に重さがあるのなら</span>
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illustration by 涼夜ちもさん |
歌曲名稱 |
命に重さがあるのなら 如果生命有其重量的話 |
於2023年4月18日投稿至niconico,再生數為 -- 同日投稿至YouTube,再生數為 -- |
演唱 |
裏命 |
P主 |
葵木ゴウ/午後ティー |
連結 |
Nicovideo YouTube |
《命に重さがあるのなら》是葵木ゴウ/午後ティー於2023年4月18日投稿至niconico和YouTube的CeVIO日文原創歌曲,由裏命演唱,收錄於裏命的歌曲合輯《パラノーマル》第四盤《空想のパラノーマル》中。
歌曲
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歌詞
- 翻譯:月勳[1]
本段落中所使用的歌詞,其著作權屬於原著作權人,僅以介紹為目的引用。
二十二を過ぎたあたりから体の重さを感じないんだ
自從我超過二十二歲以來 便感受不到身體的重量啊
死んだ魚の目で四季の経過を眺めてる
我以死魚眼的目光注視着四季的流逝
命に重さがあるとするならば
如果生命有重量的話
僕のそれは秋風に吹かれて舞う枯れ葉と同じだ
我的生命就跟被秋風吹拂飄舞的枯葉是同樣的事物啊
驟雨に溶けてなくなってしまうほど薄弱なものだ
那就像是會在驟雨之中融化並消失不見一樣 是個薄弱的事物呢
何かを成し遂げたり
完成某件事情
努力を惜しまなかったり
勤奮努力
二つとない才能や誇れる物があったり
又或者是擁有獨一無二的才能與能向眾人誇耀的事物
それらが命の重さに
如果那些事物將會成為生命的重量
延いては人としての価値になるんなら
進而成為作為身而為人的價值的話
あぁ、僕はたかが知れてるよな
啊啊、我根本不值一提啊
十月二十日の赤橙に染まる相模原と六畳間
染上十月二十日的赤橙的相模原與10坪大的房間
金木犀の匂い
丹桂的味道
はしゃぐ子供たちの声
喧囂著的孩子們的聲音
「命は等しく尊いものだ」と教えられはしたけど詭弁だろ
「生命也同樣珍貴啊」雖然我是如此被教導而來的但也太詭辯了吧
なぁ、神様とやら
餵、神明大人啊
空疎な僕と彼らの未来が同等なものか
空虛不已的我和他們的未來是否相等呢
誰かを愛してたり
深愛着他人
誰かに愛されてたり
被他人給深愛
必要とされてたり
被他人所重視
期待、未来があったり
又或者是懷有期待、擁有未來
それらで人を量るなら
如果這些東西將用來測量人類的話
"生きているかどうか"の解になるんなら
如果這將成為"我不知道他是否活着"的解答的話
あぁ、僕は疾うに死んでたのか
啊啊、我早已經死了嗎
二十四を過ぎたあたりから薬がないと寝れなくなった
自從我超過二十四歲以來 要是沒有吃藥便無法入睡
微睡みの最中で理想ばっかり描いてる
我總是在打盹的期間描繪着理想
書き捨てた歌詞の残骸を枕代わりにして
將寫了就丟的歌詞殘骸當作枕頭
朝を迎えるといつも文字が滲んでる
文字總是在早晨來臨時滲透而出
「生きたい」と思えないのに
即使我無法感受到「想活下去」的想法
命に縋り付く手に
手卻總是死抓着生命
刻まれた傷跡は寂寥の年月
刻劃在身的傷痕是冷清的歲月
未練を焼べる、夕日に
在黃昏中、焚燒着懦弱
「この街ごと全部を焼き尽くせばいい」
「如果我能將整座城市都燒毀的話就好了」
ただ
我只是一直都在渴望着
春の桜吹雪に
在春天的櫻吹雪中
夏の蝉時雨に
在夏天的吵雜蟬聲中
秋の黍嵐に
在秋天的強季節風中
冬の白雪に
在冬天的白雪中
かき消されないくらいの命がずっと欲しかった
那宛如不會被就此抹消的生命罷了
ただ、それだけ
只是、僅僅如此
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