<span lang="ja">さよなら4月のドッペルさん</span>
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Illustration by すち |
歌曲名称 |
さよなら4月のドッペルさん 再见了4月的分身 |
于2014年4月6日投稿至niconico,再生数为 -- |
演唱 |
初音未来Append |
P主 |
ねこぼーろ |
链接 |
Nicovideo |
“ | やっほ。
呀嚯。 |
” |
——ねこぼーろ投稿文 |
《さよなら4月のドッペルさん》是ねこぼーろ于2014年4月6日投稿至niconico的VOCALOID日文原创歌曲,由初音未来Append演唱,收录于专辑《Clock》。
这是一到四月就冒头的猫菠萝时隔一年投稿的VOCALOID作品,在最终投稿前曾删除两次。
标题中的ドッペルさん是“分身”的意思,歌词的译者a050107231/birpig/バーピッグ先生对其作出了注释。[1]
译者按 |
---|
歌名的ドッペルさん就是德语的Doppelgänger,可以说是另一个自己(分身),转载自中文维基“本意是指某一生者在二地同时出现,由第三者目睹另一个自己的现象。该存在与本人长得一模一样,但不限定为善或恶。民间传说当自己见到自己的分身,代表‘其人寿命将尽’。”详细请去查阅中文维基“分身” |
歌曲
词曲 | ねこぼーろ |
曲绘 | すち |
PV | ねこぼーろ すち |
演唱 | 初音ミクAppend |
宽屏模式显示视频
歌词
- 翻译: a050107231/birpig/バーピッグ[1]
本段落中所使用的歌词,其著作权属于原著作权人,仅以介绍为目的引用。
僕は 時偶に
我阿 偶尔会与
「僕」と 話をするんだ
「我」 进行对话
姿は見えないけど。
虽然我看不见他的身影。
4月の風が吹く頃 僕らの距離は近くなる
当4月的风吹起之时 就会拉近我与我的距离
いつも通りのはずなのに。
明明就如往常一样。
君がいた。
你就在一旁。
僕らが 出逢ったら
当我俩 相会之际
どっちかは いなくなるの
即使有一方会随之消逝
逢いたいなんて思ったのは
还是想与你见上一面的想法
ねえどーしてよ ねえどーしてよ。
那该怎么办 那该怎么办呢。
「どっちかが 本物で
「若非得说谁才是真货
どっちかがニセモノなら
谁又才是冒牌货的话
僕が消えようかな なんてね」
那不如就让我消失吧」
じゃあね バイバイ。
那么就 再见啰。
「4月の風が止む頃」
「当4月的风止息之时」
僕の声が遠くなる どちらかの存在が
我的声音也逐渐远去 哪一方的存在
間違いで。
才是错误阿。
僕らが 仲良しで
我们俩 要是没有
いなけりゃさ よかったのに
成为朋友的话就好了
逢ってしまったら駄目なのは
为何我们的相遇是不被允许
ねえどーしてよ ねえどーしてよ。
是又为什么 是又为什么阿。
「どっちかが ホンモノで
「非要说谁才是真货
どっちかがニセモノとか
谁又才是冒牌货的区别
あるはずないよね そうだね
根本没有真伪之分 你说是吧
じゃあね バイバイ。」
那么就 掰掰了。」
人ごみを避けて歩くように
像是避开着人群前进一般
漂う様に生きてきた僕の
我那不踏足于地的生存方式
そんな僕のひとつだけの
即使是这样的我若有个唯一
生きる理由がそれならば もう
生存理由的话 那我就能说出
「他はなんにも要らないよ」
「我什么都不需要了」
「これさえあれば生きてゆけるよ」
「仅仅如此就能支撑我活下去」
そんなこたないな そんなきれいごと
但我却没有 那种冠冕堂皇的理由
僕と一緒に消えてしまいなよ。
就随着我一起消逝于世吧。
僕らが 出逢ったら
当我俩 相会之际
どっちかは いなくなるの
即使有一方会随之消逝
逢いたいなんて思ったのは
还是想与你见上一面的想法
ねえどーしてよ ねえどーしてよ。
那该怎么办 那该怎么办呢。
どっちかが 本物で
若非得说谁才是真货
どっちかがニセモノなら
谁又才是冒牌货的话
僕が消えるから
那我会选择消失
僕らが 出逢ったら
当我俩 相遇之时
ひとつになって かさなるの
我们将交织重叠 会合而为一
消えたいなんて思った昨日
想要着消失的昨天
ねえどーしたの ねえどーしたの。
是怎么了 是怎么了。
どっちかが 僕のまま
哪边是真实的自我
どっちかが桜ならば
另一边若像樱花的话
いつか逢えるかな なんてね。
那么我想 总有一天会再相逢的。
じゃあね バイバイ。
那么就 再见了。
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注释与外部链接
- ↑ 1.0 1.1 取自VOCALOID中文歌词Wiki。